応援メッセージ
UD絵本は、私たちが考えていた目の不自由なお子さんのための絵本から、様々なお子さんたちが共に楽しめる絵本へとその可能性を広げています。
UD絵本センターやUD絵本への応援メッセージをご紹介します。
点字つき絵本の出版と普及を願って
てんやく絵本 ふれあい文庫 代表 岩田美津子
今から30年前、全盲の私が母になったとき、見えるわが子と一緒に楽しめる絵本はほとんどありませんでした。そこで、友人の手を借り、知恵を借りて作り出したのが、てんやく絵本です。これは、市販の絵本の文字を透明な塩ビシートに点訳して文字の部分にじかに貼り、絵の部分も同じシートでカタチを切り抜いてその絵に重ねて貼るなどして、見える子供と見えない親が、一緒に楽しめるように工夫したものです。
現在「ふれあい文庫」では、この手作りによる、てんやく絵本を約8000タイトル備え、全国の視覚障害(児)者に、貸し出すサービスを行っています。
しかしながら 絵本を必要とする視覚障害者にとって、このような貸出サービスだけでは、決して十分な読書環境が整っているとは言えません。晴眼者の世界では、年間1000点以上の絵本が出版され、誰もが自由に図書館で借りたり、書店で購入したりできるのに対して、点字つき絵本は、現在までに30点足らずしか出版されていないのです。ユニバーサルデザイン絵本センターの絵本はそのうちの12冊を占めています。
その最初の1冊を、1996年にふれあい文庫で出版しましたが、ボランティア団体であるふれあい文庫が、次々に点字つき絵本を出すことはできません。
そこで2002年、多数の出版社に働きかけて、「点字つき絵本の出版と普及を考える会」を結成し、活動を始めました。そしてこれまでに小学館から2冊、偕成社から3冊の点字つきさわる絵本が出版されました。
その一方で、毎年2冊づつこつこつと点字つき絵本の出版を続けて下さっているのが、ユニバーサルデザイン絵本センターです。
この点字つき絵本(UD絵本)が、図書館や書店に並ぶことによって、絵本を必要とする視覚障害者が、同じ地域に住む人と、同じ図書館や書店を利用して、絵本を楽しむことができるようになりました。それがまた、地域の人とのつながりを深めるきっかけにもなるのです。
そうしたことを考えあわせると、ユニバーサルデザイン絵本センターの果たす役割は大きく、絵本を必要とする視覚障害者の一人として、また、視覚障害者に絵本を提供する活動を行っているものとして、私は点字つき絵本が、一冊でも多く出版されることを願ってやみません。
ぜひこのような状況をご理解の上、ユニバーサルデザイン絵本センターにご支援・ご協力をお願いいたします。
ユニバーサルデザイン絵本の普及にご理解とご支援を
社会福祉法人 日本点字図書館 館長 岩上 義則
ユニバーサルデザイン絵本(以下UD絵本)のことをご存じでしょうか。子供の成長にとって欠かせない絵本を視覚障害の児童が触って学習したり楽しめるように樹脂インクを絵の形に膨らませて製作される絵本のことです。
UD絵本は触る絵本ということで視覚障害の児童だけでなく、その触感の良さからダウン症児童や0歳の赤ちゃんにも喜ばれており、物の形や映像の認識が大事な成長期の障害児にはなくてはならない存在になってきています。
今までの点字絵本は、対象である視覚障害の児童の数が少なく、どうしても製作費が割高になってしまいました。
しかし、ユニバーサルデザイン絵本センターでは1冊のUD絵本の価格を840円にしたことで、障害児の家族の負担を最小限に抑える努力をされております。
そんなUD絵本も、残念ながら年間わずか2冊の発行に留まっていると聞いております。これを、せめて年間4冊に増やせないかという、ささやかながらも強い願いが関係者の間に広がっています。
ユニバーサルデザイン絵本センターが発足して7年になるそうですが、これまでの発行部数は関係者の献身的な努力でやっと12冊になったところです。
日本点字図書館はユニバーサルデザイン絵本センターの活動を評価し、事業の発展を強く希望しています。このことは、視覚障害の児童にとっても大きな希望につながるものです。
ぜひ、ユニバーサルデザイン絵本センターの事業と活動に多くの企業や団体がご支援・ご協力くださることを衷心よりお願いしたいと存じます。
忘れられた子どもたちとUDえほん
UD絵本作家 なかつかゆみこ
十数年前、私はテレビの前で、あるニュースを見ていました。
それは、アフリカのソマリアで起こっていた内戦についてのニュースでした。
戦争で孤児となった子どもたちばかりが集められた難民キャンプがあって、そこには病気やケガをした子どもたちがたくさんいました。
大きなテントの中に、たくさんの子どもたちが横たわっていました。
ベッドはなく、みんな床の上に敷いた板の上に寝ていました。
何百人もの子供たちに対して、お医者さんはひとり。
お医者さんは言いました。
「私はここにいる子どもたちに、名前を聞くことはありません。
そんな時間がないのです。
私はこの子どもたちの泣き声を一生忘れることはないでしょう」と。
そしてそのあと、ニュースは、小さな小屋を映しだしました。
それは亡くなった子どもたちの遺体を安置するための小さな小さな小屋でした。
中には子どもたちの遺体が積み上げられ、小屋の戸が閉まらない・・
そうテレビは語っていました。
「あなたの名前はなんていうの?」とそう聞かれることもなく死んでいく子供たち・・。
私は呆然とテレビを見ながら、こんなことはぜったいに許してはならないと思いました。
子どもたちは・・子どものときだけは・・安心して暖かくて愛に満ちた世界で、幸せに笑っているべきなのにと・・
そしてそういう子どもたちの世界を守るのは大人の責任なのだと・・そう思いました。
戦争をしている人たちだけの問題ではなく、全世界の大人の責任なのだと。
そしてそのとき私ははじめて、自分もまた、その大人の中のひとりなのだと思ったのです。
そのテレビニュースを見て私は、なにか自分が子どもに関わる仕事をすることがあったら、”忘れられた子どもたち”がいないように心を配って、仕事をしようと心に決めました。
戦争の中で、名前を呼ばれることもなく死んでゆく子どもたちは、豊かで幸せな世界から、まるで忘れられているように見えたからです。
その後、私は絵本を作る仕事をするようになったのですが、仕事をはじめてすぐのころ、目の不自由な人たち、そして子どもたちに出会いました。
そして目の不自由な子どもたちのための絵本がほとんどないということを知りました。
なぜないのですか?と問うと、「だって目が見えないんですよ?必要ないじゃないですか」
そんな答えが返ってくるのです。
ほんとうにそうなのかな?
それで目の不自由な子たちは納得しているのだろうか?
みんなといっしょに、他の目の見える子が見ている絵本を見たいと思わないのだろうか?
私は単純にそう考えました。
聞いてみると、目の不自由な子どもたちは、目の見えるお友だちの見ているものが見てみたいし、目の不自由なお母さんたちも、目の見える我が子といっしょに絵本を読んでみたいと思っていることがわかりました。
私には、目の不自由な子どもたちが、絵本の世界から、忘れられているように見えました。
そんな想いを胸に作り上げたUD絵本は、目の不自由な子どもも、目の見える子どもも、いっしょに楽しめる絵本です。
でも、だからといって、堅苦しい絵本ではないのですよ。
だって絵本というのは、もともと楽しいものですから。
それにUD絵本は、視覚障害者だけのための絵本ではなく、目の不自由な子も、目の見える子も、その両方が一緒に遊べるように考えられています。
どちらか片方ではなく、両方・・この両方というのが大事なのです。
両方がつながっていてこそ、絵本の中の世界でも、あたりまえに目の不自由な子どもの存在も、見える子と同じように大切にされているということができるのではないでしょうか。
切り離された世界ではなく、共に世界を生きる子どもたちへ、私は絵本を贈りたいのです。
『てんてん』というキャラクターUD絵本を作ったとき、現実に存在しているのではないキャラクターというものが、いったいどのくらい目の不自由な子どもたちに受け入れられるのか、または理解してもらえるのか?という意見がありました。
それでも私は、“目が見える見えない関係なく、多くの子どもたちに受け入れてもらえるような、かわいらしいキャラクターの絵本がいい”と思っていたのですが、それには理由がありました。
それは、目の不自由な子どもたちの、「ねえ、ノンタンの絵本はないの?」「アンパンマンをさわりたいの」という言葉を聞いていたからです。
幼稚園でみんなが好きな絵本を触りたい・・・お友だちが見ているものが触りたい・・・そう思うのって当然でしょう?
でもいろいろな問題があって、既存の絵本を触れるようにしてあげられるところまでいっていないのが現実です。
もしUD絵本から、ノンタンやアンパンマンくらい、みんなの人気者になれるような絵本を生み出すことができれば・・そうなればどんなに素敵だろう・・?
そう思って『てんてん』は一般に市販されている絵本と同じように、絵本として楽しい、色の美しい絵本であるよう心をくばり、親しみを持ってもらえるようキャラクター絵本にしました。
そして目の不自由な子どもたちにもさわって楽しんでもらえるように作りました。
今年は第2弾として、『てんてん』の続編『ともだち』を刊行することになりました。
キャラクターも3人増えて、よりにぎやかになってきました。
たくさんの人に好きになってもらえるようにと願っています。
そして、ただ好きだとか、愛らしいとかというだけで、この絵本が支持されたなら・・
それこそが目の不自由な子どもたちにとっても、そしてもちろん私にとっても、UD絵本センターにとっても、とてもうれしく幸せなことだと思うのです。